こんばんわ、委員長のラッシャーやすおです。
本日、9月18日は日本の格闘技界にとって一つの歴史の幕を閉じてしまった日と
なってしまいました。
日本の格闘技界において、一時代を築いた山本“KID”徳郁選手がお亡くなりに
なりました。
正直、委員長も耳を疑い、そして現実を受け止めることができない状態。
2000年代前後の、日本格闘技界最盛期のファンである方々には、きっとこの
気持ちは分かるんじゃないでしょうか。
今回は、山本“KID”徳郁選手が敗れた「がん」とは何だったのか?
そして、これまでの山本“KID”徳郁選手の活躍を振り返って、追悼とさせて
頂こうと思います。
目次
山本“KID”徳郁選手は何のがんだった?
格闘家の山本KID徳郁さんが死去、41歳 所属ジムの公式Twitterが報告https://t.co/8d0T3eBcsB
— LINE NEWS (@news_line_me) 2018年9月18日
先月26日、山本“KID”徳郁選手は自身のインスタグラムでがん治療中である
ことを公表しました。
実際、この時も大きなショックを受けたんですが、山本“KID”徳郁選手の
『絶対元気になって帰ってきたい』
という言葉に、必ずリングに戻ってきてくれると思っていただけに残念で
なりません。
それにしても、がん公表から1ヶ月もしないうちに亡くなられたということで、
以前からがんの治療をされていたのかもしれません。
果たして、山本“KID”徳郁選手が敗れた「がん」とは何だったのでしょうか?
消化器系のがん?数年前から闘病していた?
山本“KID”徳郁選手が亡くなった原因は、ご本人が先月公表したように、
「がん」であるのは間違いありません。
しかし、詳しい説明はされておらず、どこの「がん」だったかは明らかには
なっていないようです。
一部の情報では消化器系の「がん」だったと言われており、数年前に発見され、
海外で治療に専念していたとも言われています。
8月の時点では一人では歩くこともできず、車イスでの生活だったとも言われて
います。
いま、振り返ってみると「がん」公表は山本“KID”徳郁選手の最後の戦いへの
決意表明だったのかもしれませんね。
激ヤセによる病気の指摘はされていた!?
実は、先月の「がん」公表前から山本“KID”徳郁選手の病気は心配されて
いたようです。
AbemaTVで放送された『格闘代理戦争』という番組に出演していた姿を見た
ファンの方々が激ヤセした姿を心配していたんですね。
【死亡】山本キッド徳郁の死因、胃癌だった https://t.co/BEvpLaEHY8 @news_plusalpha さんから
— 日本人の日本人による日本人の為の政治??名無しの憂國?? (@nanashinoyukoku) 2018年9月18日
確かに、映像を見る限り、全盛期の筋骨隆々の姿からは程遠い姿です。
この時から、山本“KID”徳郁選手は壮絶な戦いに挑んでいたんだろうね。
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山本“KID”徳郁とはどんな選手だった?
何度も書かせてもらっっているように、山本“KID”徳郁選手は日本格闘技界の
歴史において、語らずにおられない存在。
格闘技人気の低迷と共に、山本“KID”徳郁選手の活躍の場は少なくなり、
全盛期の圧倒的な強さを失ってからは試合に出る姿も極端になくなったため、
若い格闘技ファンにとってはどれほど凄かった選手なのかわからない方もいる
かもしれません。
そこで、委員長の思い出とともにその凄さを振り返っていきたいと思います。
正直、好きではなかった!ギラギラし過ぎたデビュー当時!
山本“KID”徳郁選手はアマレスをバックボーンに、2001年に修斗でプロとして
デビュー。
すぐに格闘家としての頭角を表した山本“KID”徳郁選手でしたが、この頃は
正直、好きな選手ではなかったんですね。
勝田哲夫選手との対戦において、レフリーの制止を無視してのパウンドの印象が
強すぎて。
正直、強いけどヤッベー奴が出てきたよ、ってのが委員長の感想でしたね。
タイトル戦には怪我によって縁はなかったとは言え、レベルの高い修斗で
ランキング2位まで上り詰めたの中で、なんと立ち技系のK-1に参戦!!
K-1での活躍で一気にスターダムへ!
山本“KID”徳郁さん死去 41歳 8月にがん公表https://t.co/ORFCMpN3Vg …#山本KID #山本KID徳郁 #山本キッド #KIDまじ
信じられない??????
山本KID徳郁 VS 魔裟斗 2004年
KIDさんが魔裟斗さんからダウンを奪うシーン pic.twitter.com/BmsGxcRp5f— ??ななみん?? (@7nanamin31) 2018年9月18日
今でも総合格闘家がキックルールへ挑戦するってのは話題になりますが、まさか
体格的にもキック系ではない山本“KID”徳郁選手がK-1に参戦したのは驚きでした。
それも、K-1の舞台でも活躍したってのが凄い。
なにせ、勝負に負けたとは言え、K-1王者であった魔裟斗選手と対戦してダウン
を奪うというすっげー試合を見せてくれました。
もう、この時期から伝説の階段を走り抜けていった感がありますね。
HERO’S参戦!数々の歴史を作り上げる!
神の子 山本キッド徳郁は今頃空の上で本物の神様になって格闘家見守ってくれてるよ。 pic.twitter.com/aFXgrhSpOp
— 井上海山 (@kaizan05011) 2018年9月18日
2005年からHERO’Sに参戦。
数々の名勝負を残し、日本格闘技界に一つの時代を作り上げた時期。
この頃の山本“KID”徳郁選手は、まさにカリスマって感じでしたね。
とにかく、試合が面白かった。つまり、期待通りの結果を、期待通りの勝ち方で
残していってくれた。
特に、宮田和幸選手と対戦し、圧巻の4秒KO勝利はまさに伝説的な試合となった
んじゃないかな。
全盛期は過ぎ去っても、カリスマは健在だった!?
山本キッド徳郁さん、死去。ご冥福をお祈りします https://t.co/xR9Z3vusG0 pic.twitter.com/jLI87XQoKb
— tokyhhhh (@tokyhhhh) 2018年9月18日
HERO’S時代が山本“KID”徳郁選手の最盛期だったんじゃないかな。
HERO’SからDREAM参戦。さらにUFC参戦と戦う場を変えていった山本“KID”徳郁
選手ですが、カリスマ的圧倒的な強さは見られなくなってきたのがこの時期。
正直、UFC参戦は遅すぎたのかもしれませんね。
山本“KID”徳郁選手への期待が大きすぎたからか、UFCでの連敗は正直辛かった。
山本“KID”徳郁選手がUFCで通用しない、ということは日本の格闘技界の
レベルが世界のレベルと離れているということの証拠になりそうで。
当時は、委員長も山本“KID”徳郁選手に対して非常に厳しい評価をしていた
記憶があります。
いずれにせよ、山本“KID”徳郁選手の残した伝説は多くの格闘家へ多大なる
影響を与えたのは間違いありません。
まとめ
●山本“KID”徳郁選手が、2018年9月18日に41歳という若さで亡くなられた。
●山本“KID”徳郁選手の死因は「がん」。2年前から闘病を続けていたと言われ、
今年前半のテレビ出演時にも激ヤセによって心配されていた。
●山本“KID”徳郁選手はHERO’Sを中心に、多くの素晴らしい試合を残してくれた。
世の中には、心ない人もいるようで、山本“KID”徳郁選手の死に対して
不謹慎極まりない発言をされている方もいるようです。
委員長としては、いち格闘技ファンとしてだけではなく、不謹慎な発言をされる
方々に非常に残念に思います。
いまは、ただ41歳というまだまだ若くして伝説となった山本“KID”徳郁選手の
ご冥福を祈るだけであります。