(画像は「ダンプ松本 オフィシャルブログ」より引用) span>
1980年代、全日本女子プロレスでは絶大な人気を誇ったクラッシュギャルズの
ライバルとしてマット上を暴れまわった極悪同盟。
そのリーダー格として活躍されたのがダンプ松本さん。
ダンプ松本さんはヒールながらに人気があり、タレントとしても活躍されてい
ました。それでも、試合では凶器攻撃を中心にリングを荒らしまくり、当時は
極悪非道な人物だと思っていたのですが・・・
実はダンプ松本さんは、超がつく「いい人」だったのです!!
後輩の面倒見はいいし、気配りもよくできる。涙もろく、今でもダンプ松本さ
んを慕うレスラーは多く、特に一番弟子のブル中野さんとは今でも強い気綱が
続いているようですね。
今回は、ダンプ松本さんとはどんな人なのか、調べてみました。
目次
極悪同盟とはどんなユニットだったのか?
まず、「極悪同盟」って、この名前のセンス。分かりやすく、かつ的確に完全
な「悪」ってのを表していますが、これが成立したのは、当時絶大な人気を博
していたクラッシュギャルズが存在したから。
ベビーユニット「クラッシュギャルズ」がより人気を得るためには、完全に悪
の対抗馬が必要になってきた。それが「極悪同盟」だったわけですね。
極悪同盟は派手に凶器攻撃を多用し、相手の流血も日常茶飯事。当時の女子プ
ロレスの過激さといったら、完全に男子を上回っていましたからね。
その中心にいたのがダンプ松本さんでした。
クラッシュギャルズってどんなユニットだった?
明るいところが強ければ強いほど、影も濃くなるもので、「極悪同盟」が人気
を博したのは、「クラッシュギャルズ」の人気が絶大だったから。
「極悪同盟」と「クラッシュギャルズ」は切っても切れない関係なんですね。
クラッシュギャルズとは、長与千種選手とライオネス飛鳥選手のタッグチーム
で、名前の由来は前田日明選手がクラッシャーとあだ名されていたことから、
女子プロレス界のクラッシャーとなるとの思いを込めてだそうです。
その名前の通り、前田日明選手を意識したファイトスタイルで、殴打技や蹴り
技を多用し、当時の女子プロレスに革命を起こしたと言っても間違いないです
ね。
ベビーとして絶大な人気を得、極悪同盟との数々の抗争を繰り返していくこと
になるのですね。
レフリーとも組み、リングを暴れまわった極悪同盟
極悪同盟のリーダーはダンプ松本さん。その他のメンバーはクレーン・ユウ、
ブル中野。そして、極悪レフリー阿部四郎と手を組み、リングを荒らしまわり
ました。
この阿部四郎ってのが曲者でして、レフリーながら極悪同盟と手を組み、ライ
バルのクラッシュギャルズには高速カウントを行ったり、極悪同盟の反則行為
を見て見ぬ振りをしたり、かなりの役者でしたね。
凶器攻撃を厭わず、阿部四郎のバックアックもあり、クラッシュギャルズを苦
しめた極悪同盟でしたが、人気があった一方で、クラッシュギャルズの熱烈な
ファンから大きな非難を浴び、度重なる嫌がらせもあったそうです。
実はダンプ松本は苦労人でいい人だった!
当時のメイクと衣装から、完全に極悪非道だと考えられていたダンプ松本さん
ですが、実はそのメイクは笑うとエクボができてしまい、可愛らしく見えてし
まうのを隠すためだったらしいですね。
実は、一番弟子のブル中野さんのメイクも、たれ目で可愛らしい顔を隠すため
のもだったらしく、ヒールに徹することの大変さが分かりますね。
このように、ヒールになるために様々な努力をしてきたダンプ松本さんですが、
実は超がつくほどのいい人だったのです!
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後輩の面倒見がよく、先輩として慕われていた!
リング上では徹底的にヒールとして活躍していたダンプ松本さん。
当時の女子プロレスファンの多くは、ダンプ松本さんがリングを降りても完全
にヒールであると思っていたでしょうね。それだけ、ダンプ松本さんがプロと
して徹底していたのだと思います。
が、リングを降りると、とても後輩思いで人情に厚く、多くの後輩レスラーに
慕われていたそうですね。
もともと女子プロレスラーとなったのも、金銭やDVなどで苦しんできた母親に
楽をさせてあげたいという思いからだそうで、もうその時点で心の優しさが分
かりますね。
イジメや理不尽なしごきなど、悪い慣習は拒否!
今は分かりませんが、一昔前の女子プロレスを調べると必ず出てくるのが、理
不尽なしごきやイジメの話。男子プロレスもそういった話は聞きますし、新日
本プロレスの真壁刀義選手も理不尽なしごきに耐えてきており、後輩にはその
ようなことはしないと決めていると聞いたこともあります。
でも、男子プロレスと比べても、女子ってのはイジメが陰湿なような気がしま
すし(完全にイメージですかね・・・スミマセン)、なんか激しそうな気がし
ますよね。
ダンプ松本さんも新人時代に、先輩レスラーから理不尽なしごき、いじめを受
けていたそうです。そのことから、後輩に対しては絶対にそのようなことをし
ないと決めていたそうですね。
ダンプ松本さんを慕って、自らヒール軍団入りをした選手もいるそうで、そん
なところからもダンプ松本さんの人柄の良さが分かりますね。
一番弟子・ブル中野との関係は特に深かった?
一番弟子となったブル中野さんは、当時、先輩レスラーから理不尽ないじめを
受けていたそうで、その状況を見かねたダンプ松本さんがヒールに誘ったそう
ですね。ブル中野さんの才能を見抜き、常に気にかけていたダンプ松本さんと
ブル中野さんの関係はかなり深いようですね。
ブル中野さんもコメントを残しているように、かなりダンプ松本さんにはお世
話になっていたそうで、ベビーフェイスに憧れデビューしたブル中野さんが、
ヒールになれきれない姿を見て、荒療法で控え室でモヒカンにさせたそうです。
もし、これがなかったら、女子プロレスラーとしてブル中野さんが大成するこ
とはなかったかもしれません。
実際、引退後も目標がなくなり、外界との接触を拒否していたブル中野さんは、
ダンプ松本さんとだけは連絡をとり、相談をしていたそうです。
一番弟子との関係は、引退後もしっかりと続いていたんですね。
プロとしてヒールに徹したダンプ松本
後輩思い出、人情深く、それを証明するように後輩に慕われ、芸能界でも交流
が広いダンプ松本さんですが、レスラーとしても一流のプロだったと言えるで
しょう。
実はクラッシュギャルズの二人、長与千種選手、ライオネス飛鳥選手とは同期
で、デビュー前から非常に仲良かったらしいんですが、極悪同盟がクラッシュ
ギャルズの敵の立場となり、ヒールとして徹底した立場に立つために、プライ
ベートでも交流を絶ち、引退まで会話することもなかったそうです。
引退後のリングで、「クラッシュギャルズのファンの皆さん、今までチーちゃ
ん(長与)や智ちゃん(飛鳥)のことをいじめてすいませんでした。」と号泣
して謝ったそうで、ファンに対しても非常に強い思いがあったのでしょう。
きっと、現役時代には自分の中にある優しさと、ヒールという立場で苦しんだ
こともあるでしょう。そんな中で、徹底的にヒールとしての役割を務めたダン
プ松本さんこそ、プロ中のプロだったと言えるんじゃないでしょうかね。
まとめ
●極悪同盟というヒールユニットのリーダーとして活躍したダンプ松本さんは、
実はいい人だった!
●人柄の良さ、後輩への気遣いや面倒見の良さは、現役引退後の活躍をみると
納得。交友範囲も広く、引退後も後輩に慕われていた。
●プロとして徹底し、ヒールの立場を確立した。仲の良い動機とも距離を置き、
プライベートでも徹底したヒール像を作り上げた!