佐々木健介と永田裕志の根深い遺恨!伝説の大流血試合の原因は?

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こんばんわ、委員長のラッシャーやすおです。

相撲界でも大問題になっている「かわいがり」という名の暴力行為。

暴力を奮ったところで強くなるはずもないのに、それが分からない方も多く
いるみたいですね・・・

相撲界だけではなく、このシゴキというのはプロレス界にも
悪習としてあったそうです。
(現在はないと思いたいですね・・・)

プロレス界の行き過ぎたシゴキの話になると、必ず名前が挙がるのが
佐々木健介さん。

テレビでは温厚な感じですが、佐々木健介さんが現役時に新日本プロレスの
道場のコーチをしていたころのシゴキは非常に凄惨といっていいほどだったとも
言われているんですね。

当然、シゴキを受けたものには確執が生まれるってわけ。

その1人が、永田裕志選手。

新日本プロレスの第三世代を代表とする選手の1人ですね。

この2人の確執は、どのような形で現れたのでしょうか?

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佐々木健介の過酷過ぎるシゴキの噂


佐々木健介さんが新日本プロレスの道場でコーチをやっていた頃に練習生だった
のが、今の第三世代にあたる永田裕志選手、中西学選手、小島聡選手、
天山広吉選手。

ちょっと下に、真壁刀義選手が新弟子として佐々木健介さんのシゴキを受けた
ことは有名ですね。

他に相撲から転向してきた安田忠夫選手に、後に総合格闘家となった
菊田早苗選手などのがいたんですね。

この時のシゴキがとにかく酷かったという噂なんですね。

大相撲出身で、相撲界の「かわいがり」も経験している安田忠夫選手が

「当時新日本の合宿所にいた人間で佐々木さんのことを好きな人間は誰もいないです」

とコメントを残しており、

菊田早苗選手は、当時の新日本プロレスの合宿所は、刑務所のようなものだった
と回顧しているんですよ。

新人とは言っても、屈強な身体を持つ後のプロレスラーがこう言うんですから、
一体どれくらいのシゴキだったのか想像するのも怖いもんですね・・・

シゴキの連鎖はなかった?「いい人」レスラーのおかげ?

佐々木健介さんの厳しすぎるほどのシゴキを受けた中に、小島聡選手、
天山広吉選手というプロレスラーの中でも特に「いい人」伝説が残っている
2人が入っているのも委員長にとっては驚きだね。

虐待問題でも話題になることがあるんですが、虐待を受けた子どもは、自分の
子どもにも虐待を行ってしまう連鎖の問題があるんだよね。

それと同じように、シゴキを受けた当人がコーチという立場になった時に、
同じような過酷なシゴキをしてしまうってことが多々あると思うんですが、
その後のシゴキってのは減ったみたい。

やっぱり、小島聡選手や天山広吉選手がいたからなのかな?

第三世代の華がないのは、シゴキの結果?

第三世代は、「華がない」と言われることが多い。

委員長はそんなことはないと思うんだけど、よく言われるてるみたいなんだよね。

永田裕志選手も、小島聡選手も、天山広吉選手も・・・

まあ、第二世代のレスラーと比べたら、確かにパンチがないけど・・・


あくまでも委員長の予想になるんだが、このシゴキが後のプロレスラーとしての
自由な発想を摘んでしまった、ということはあるんではないか?

佐々木健介さんが、後輩の成長のためにシゴキをしたという感じではない。

これは、真壁刀義選手の発言(名指しはせず。理不尽がシゴキをする者がいた)
からと、のちに佐々木健介さんを慕うどころか、よく言うレスラーがいない
ってことからも予想できる。

いい過ぎかもしれないけど、佐々木健介さんのシゴキは後輩を潰すことが目的
のようなものだったのではないだろうか?

そうだとすれば、色々な挑戦をしたり、工夫したりするということに対して
認めるという雰囲気はなかったのかも。

それが、のちに第三世代が華がないといわれる土台となってしまった・・・
というのは、委員長の考え過ぎであろうかね。



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佐々木健介と永田裕志の遺恨試合とは?

佐々木健介さんと永田裕志選手の2人の間で、最も凄惨な遺恨試合となったのは
2004年1月4日の東京ドーム大会。

2002年11月に新日本プロレスを退団した佐々木健介さん。

この行為は、2ヶ月後に控える東京ドーム大会への妨害行為になるとして、
永田裕志選手が激しく非難。

当の佐々木健介さんはWJプロレスに合流するも、経営難で1年で出戻りになる
ことになった佐々木健介さん。

さすがに、この行為に怒り心頭だったのが永田裕志選手だったわけですね。

東京ドーム大会で佐々木健介さんを迎え撃つことになった永田裕志選手は、試合
前から敵意丸出し。

インタビューでは

「そもそもあの男何で帰ってきたんですか?

ハッキリ言っちゃえばいいんですよ。

生活が苦しいから新日本しか働き場がねぇって。

いいんだね、殺っちゃって。」?

この「いいんだね、殺っちゃって」発言は後々まで語り継がれることになる
んですよね・・・

大流血の試合!これが本物の遺恨試合!

大きなブーイングの中で登場した佐々木健介さん。

試合はやはり凄惨なものに。

永田裕志選手にとっては、新日本プロレスに出戻りと同じく、昔の理不尽な
シゴキというのが脳裏にあったはず。

試合は、委員長が観てきた試合の中で、これほどもの大流血は観たことがない
というものでした。

もうちょっと流血とか、そんなレベルじゃなかったですもん。

血が流れて、池になるっていう表現のまんま。

モニターで観ていたアントニオ猪木さんが

「もうやめさせろ! 死人を出す気か!?」

と思わず叫んだと言われるくらいですから、その凄惨さは観ていない人も想像が
できるでしょう。

試合は、永田裕志選手がナガタロックⅢを決め、意地でもタップしない
佐々木健介さんを観てレフリーがストップという試合でした。

2004年1月4日東京ドーム大会
第8試合 ○ 永田裕志 × × 佐々木健介
12分10秒レフリーストップにより、永田裕志選手の勝利。


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佐々木健介と永田裕志の遺恨のまとめ

●佐々木健介さんが新日本プロレス道場のコーチ時代、練習生は激しいシゴキを
受けていたという。

●佐々木健介さんへの理不尽なシゴキについては、後に多くの選手から証言され
ており、もちろん多くのレスラーとの確執を生むことになった。

●確執を残した選手の1人である永田裕志選手は、新日本プロレスに出戻りする
ことになった佐々木健介さんに激しい敵対心を抱き、2004年の東京ドーム大
会で大流血戦の末、勝利することになる。



佐々木健介さんのシゴキに対する黒い噂はプロレスファンの中では非常に有名。

それだけが原因とは思えませんが、佐々木健介さんはテレビの印象とは異なって、
多くの選手と確執が残っているんだよね・・・

テレビではニコニコしているイメージ。

ですが、人間性に疑問がある人物であるんですよな・・・



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