神取忍のブル中野、北斗晶らライバルとの壮絶ケンカマッチから強さを検証

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ミスター女子プロレス神取忍
(画像は「LLPW公式サイト」より引用)

年末のRIZINに隠しだま的なカードが発表されました。

ミスター女子プロレス・神取忍選手と女子最強の異名を持つギャビ・ガルシア
の試合。

これはかなり無理があるカードとなってしまいました。

神取忍選手が全盛期ならば、総合格闘技にも十分適応できたでしょう。
しかし、神取忍選手は現在52歳。すでに選手としては完全に全盛は過ぎており、
とても総合格闘技で戦えるとは思えません。

それも相手が女子最強と言われるギャビ・ガルシア。
これは観るまでもなく、結果は分かるような気がします。

でもですね、神取忍選手は、間違いなく全盛期には女子格闘議会で最強の一人
でした。それだけに、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、今回のカードに可
能性を見出してしまったんですよね。

今回は、神取忍選手が女子プロレス界で最強の一人だったとと証明になる、神
取忍選手のガチンコのケンカマッチを紹介したいと思います。

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神取忍の強さを検証

年末のカードはかなりネタ的なものになってしまいそうな気がしますが、それ
は神取忍選手の年齢が52歳だから。

個人的に全盛期の神取忍選手だったら、現在の総合格闘技、その最高峰に位置
するUFCという場であったとしても、かなりのいい成績を残せたのではないか
と思うのですね。

これはよくある幻想ではなく、これまでの神取忍選手のプロレスラーとしての
歴史を振り返ってみると頷けると思います。

神取忍選手の強さを、これまでのケンカマッチを中心に検証していこうと思い
ます。

格闘の基礎は柔道から

神取忍選手はプロレスラーのイメージが強いですよね。

実は、プロレスラーになる前、格闘技の基礎を身に着けたのは「柔道」。

今だから女子柔道というのはオリンピック競技にもなっていますし、競技人口
も多い、メジャーなスポーツです。

でも、神取忍選手が柔道を始めたころはそうではなかった思います。
つまり、練習環境としては、女子同士の練習ではなく、男子選手との練習が普
通だったでしょう。

この環境は、きっと柔道家・神取忍を作り上げていく上、かなり重要だったと
思います。

柔道で残した戦績も凄かった

神取忍選手が凄いのは、柔道を始めたのは15歳のころ。それも足がけ6年くら
いしかやっていなかったそう。

しかも、町道場に通って練習を行っていたらしく、大学や実業団などの繋がり
は全くなかったと言います。

きっと、大学や実業団に所属していないということは、強化合宿などの練習に
参加する機会もなかったんじゃないかなと思うんですが、それでいて残した成
績が凄いのです。

1983年から全日本選抜柔道体重別選手権の66キロ級で3連覇。1984年には世界
柔道選手権大会で3位
という成績を残しております。

講道館から距離を置かれていたためか、オリンピックを目指すモチベーション
がなく、柔道を辞め、プロレスに転向したそうです。

もう少し本気で柔道をやっていたら、どうなっていたと思います?

この柔道の経験と、プロレスラー転向後に山本小鉄さんにプロレスのいろはを
教わったことが、神取忍選手のバックボーンとなっていくことになったんじゃ
ないかなと思います。



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伝説的なケンカマッチの数々

神取忍選手は柔道出身だったためか、始めはプロレスを甘くみていたと告白し
ています。

どういうことかと言いますと、プロレスは相手があってのものであり、相手の
技を受け止め、耐えて、最後に相手を倒す。つまり、観ているものに魅せるの
がプロレスなわけですね。

それを最初分からなかった神取忍選手は、なぜ相手の技を受けるんだろう、自
分だったらやられる前にやってやる、と思っていたらしい。

もともとそういった考えがあったからなのか、プロレスラーとしての活躍も、
かなりガチンコな感じの試合が多かったんですね。

その中でも、本当のガチンコ、シュートの試合から、神取忍選手の強さっての
を考えていきたいと思います。

ジャッキー佐藤戦 1987年

神取忍選手にとって、最初のシュートマッチとなった伝説の試合。

といっても、強さの差が歴然とし過ぎて、神取忍選手が一方的に怒っているっ
ていう構図にしか見れないですね。

スタンドでのパンチ、グランドでも本気で折りにいっているだろうと思われる
関節技。

もう後半になると、あまりにも凄惨な試合。観客もかなりひいているのが分か
ります。

この試合の背景には、神取忍選手のギャラ問題や、目の負傷による欠場希望を
ワガママとされ、負傷部分に故意に攻撃を受けた神取忍選手がシングルマッチ
を直訴したことが背景に。

神取忍選手はこの試合について「あの試合のとき、考えていたことは勝つこと
じゃないもん。相手の心を折ることだったもん。骨でも、肉でもない、心を折
ることだけ考えていた。」とコメントしております。

ジャッキー佐藤選手は、この試合を最後にプロレスラーとして引退しており、
その壮絶さが伝わってきますね。

この試合について、後に神取忍選手と死闘を繰り広げる北斗晶選手が「あのお
っかないジャッキーさんをやっつけたというのだから、神取というのは凄い奴
なんだなと思っていた」とコメントを残しております。

北斗晶戦 2度に渡る壮絶な死闘

LLPW対全日本女子の団体戦として、お互いのプライドをかけて行われた神取忍
×北斗晶戦。

この試合は2度行われ、どちらも壮絶な内容であったのは想像に難しくないで
すよね。

93年4月2日の試合は、互いに大流血するという激しい内容のものでしたが、結
末はあまりにも突然に、あまりにもあっさりと決まってしまいました。

試合は、北斗晶選手が先に仕掛け、神取忍選手を躊躇なく殴ることから試合が
動き、これにキレた神取忍選手がなんと北斗晶選手の肩関節を外すという事態に!

驚きは、関節を入れなおした北斗晶選手が試合を続行することです・・・
普通だったら、関節が外れた時点で試合が終わりますよね。

お互い流血をし、それでも激しい技の掛け合い、いや殴り合いが続くのですが、
最後は北斗晶選手が放ったパンチで神取忍選手が完全にKO。
スリーカウントがあっけなく告げられ、会場のみならず解説者すらも試合が終
わったのに気付かないようなものでした。

それだけに、決着が決まるまでの内容が激しすぎたのを物語っていますね。

93年12月6日再戦。そして神取忍のリベンジ成功

再戦として行われた試合も完全にプロレスの枠を超えてしまった内容になって
しまっていますね。ファーストコンタクトの殴り合いから、もう尋常じゃない
雰囲気が出ています。

開始直後に北斗晶選手の流血から始まり、北斗晶選手の殺しかねない投げ技。
背筋が凍るような場面が何回も続きます。

まだ北斗晶選手はプロレスのフィールドで戦っている感じがするんですが、神
取忍選手はもともとのスタイルがシュートスタイルですからね。神取忍選手は
ほとんど打撃。まさにケンカスタイル。

再戦は、最後に神取忍選手の打撃により北斗晶選手が崩れ去り、スリーカウン
ト。壮絶な試合に終止符が打たれたわけです。

この二人のスタイルの違いを見ればわかりますが、プロレスの純粋な強さを求
めた北斗晶選手と、格闘技としての強さを求めた神取忍選手。
そう考えると、かみ合っていそうで、実際にはかみ合っていなかった試合かも
しれませんね。

そのお互いのすれ違いが、壮絶な内容へとなってしまった原因の一つかもしれ
ません。

ブル中野戦 1994年7月 チェーンデスマッチ

この試合は遺恨のないガチンコの試合だったのかもしれません。

というのも、神取忍選手はこの試合を負けたのにもかかわらず、自身のベスト
バウトと述べています。

神取忍選手にとって、ブル中野選手はプロレスラーとして唯一、自分から興味
を持った選手だったそうで、ブル中野×アジャ・コング戦の内容を知り、ぜひ
対戦したいと考えていたそうで、決して何かのトラブルがあったのとは違った
のです。

純粋に神取忍選手が、強いと認めたブル中野選手と試合をしたかった。どちら
が強いのかはっきりさせたかった。単純にその気持ちが強かったんだと思いま
す。

試合はチェーンデスマッチで行われ、チェーンを利用した攻撃で両者とも流血。
最後はブル中野選手の得意技であるギロチン・ドロップで神取忍選手は敗れる
こととなりました。

まとめ

●神取忍の強さには、柔道というバックバーンがあり、そのファイトスタイルの根底には真剣勝負が常にあった。

●プロレスラーとして様々なケンカマッチを行ってきた神取忍はその強さを証明してきた。

●神取忍自身、ベストバウトはブル中野戦を上げており、両者の意地が見られる壮絶な内容だった。

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