(画像は「新日本プロレス公式サイト」より引用)
新日本プロレスの春の祭典『ニュー・ジャパン・カップ』が行われ、
2017年の優勝は柴田勝頼選手に決定しました。
優勝者として、柴田選手のIWGPヘビー級王座挑戦も発表され、
新日本プロレスの中で、新しい流れが生まれつつあるのかもしれません。
今回は、システムの問題点を痛烈に批判された『ニュー・ジャパン・カップ』に
ついて、何が問題であるのかを内藤哲也選手のコメントから明らかにし、
歴代の優勝者のその後の活躍から、その存在意義について考えてみました。
ニュー・ジャパン・カップって何?
まず、ニュー・ジャパン・カップてのが何かってのをまとめておこうと思います。
新日本プロレスの一年間のスケジュールの中で、最も過酷で盛り上がるのが
真夏の祭典『G1 CLIMAX』。
これはヘビー級レスラーによるリーグ戦を行い、新日本プロレスの最強の
レスラーを決める大会で、チャンピオンシップを抜かせば、最も激しく、過酷な
試合を繰り返されるシリーズ。
それに対して「春のG1」と世ばれれる『ニュー・ジャパン・カップ』は、
次期チャンピオン挑戦権を賭けたトーナメント大会のような大会。
歴史はそれほど古くなく、2005年に第1回大会が行われています。
優勝者は王者挑戦権が与えられるため、IWGPヘビー級王者をはじめ、
現在はIWGPインターコンチ王者、NEVER王者の出場はない。
興行的に、1月の東京ドーム大会というビック大会から、夏の『G1 CLIMAX』まで、
つなぎ的な大会を作るために始まったのではないかなと思いますね。
そして、現在はチャンピオンシップ試合が非常に過酷になってきたため、
各チャンピオンの休養時期に当てる期間としての意味もあるのではないかと
思われますね。
内藤哲也や柴田勝頼の問題提起
第1回大会では違かったようですが、第2回大会から優勝者には、王者次期挑戦権
が与えられえることになり、その意味で重要な大会になってきたようです。
が、当初は優勝者にはIWGPヘビー級王者への挑戦権だったものが、2014年には
優勝者はIWGPヘビー級王座か、もしくはIWGPインターコンチネンタル王座への
どちらかに挑戦する権利が与えられることになりました。
さらに、2015年からはNEVER無差別級王座への挑戦も選べるようになり、
だんだん意味が分からなくなってきた大会でもあります。
2017年の『ニュー・ジャパン・カップ』において優勝した柴田勝頼選手は、
この点について指摘しており、何のための大会かよく分からないとコメント
しておりました。
そもそも、大会が始まる前に内藤哲也選手は痛烈に批判しており、
『ニュー・ジャパン・カップ』のシステム変更を提案しておりました。
以下、内藤哲也選手のコメントから、問題点を見てみようと思います。
先に、『ニュー・ジャパン・カップ』を「次期チャンピオン挑戦権を賭けたトーナメント大会のような大会」と説明しました。
内藤選手が言うように、『ニュー・ジャパン・カップ』は現在のところ、
最強挑戦者決定トーナメントであるのは間違いないところ。
それ以上の意味は、現在のところ、「ない」と言って間違いないでしょう。
最強挑戦者決定トーナメントであるのならば、内藤選手の指摘はますます正しい。
優勝者がどのベルトに挑戦するかを決定するってのも変な話。
このような体制を続けていくと、『ニュー・ジャパン・カップ』の意味が
どんどん薄れていくのは間違いないと思われますね。
歴代優勝者のその後はどうなった?
『ニュー・ジャパン・カップ』に色々問題があるのは間違いなさそうですが、
では、これまでの歴代優勝者は誰なのか、その後の王座挑戦はどうなったのか、
少しまとめていこうと思います。
第一回優勝者 棚橋弘至
やはり、初代覇者が棚橋選手だったというのは、当時の新日本プロレスの象徴
であったのがよく分かります。
それにしても、第一回大会はライガーやタイガーマスクらのジュニア選手も
多く出ていたんですね。
第二回優勝者 ジャイアント・バーナード
2006年の東京ドーム大会で新日本プロレスに初登場して、いきなり優勝した
ジャイアント・バーナード。
ブロック・レスナーの持つIWGPヘビー級王者に挑戦するも敗退。
第三回優勝者 永田裕志
第三世代を代表する選手である永田選手が優勝。
この結果、当時のIWGPヘビー級王者の棚橋弘至選手に挑戦し、勝利。
第46代IWGPヘビー級王者となっております。
要所、要所で強さを見せ付ける永田選手は凄いですね。
第四回優勝者 棚橋弘至
2度目の優勝となった棚橋選手は、中邑真輔選手に挑戦するも、敗退。
IWGPヘビー級王者返り咲きは叶いませんでした。
第五回優勝者 後藤洋央紀
2009年の大会で優勝した後藤選手は、2008年の『G1 CLIMAX』にも優勝しており、
史上初の春夏連覇を達成しました。
IWGPヘビー級王座の棚橋選手に挑戦するも、敗北。
第六回優勝者 後藤洋央紀
2009年に続き、史上初の連覇を達成した後藤選手。
IWGPヘビー級王座の中邑真輔選手に挑戦、敗北。
『ニュー・ジャパン・カップ』に強い後藤選手のイメージが付いてきた感じ。
第七回優勝者 永田裕志
2度目の優勝となった永田選手。ベテランの域に達して、まだまだ勢い劣らず、
といったところでしょうか。
今年も急遽出場が決定しましたが、しっかりと存在をアピールしましたね。
第八回優勝者 後藤洋央紀
2011年の大会では初戦敗退し、三連覇はできなかった後藤選手が、再び優勝。
オカダ・カズチカ選手に挑戦するも敗北。IWGPヘビー級ベルトに届かない
というイメージがつき始めた時期。
第九回優勝者 オカダ・カズチカ
2012年の『G1 CLIMAX』を優勝していたオカダ・カズチカ選手が、後藤選手に
引き続き、二人目の春夏連覇を達成。
IWGPヘビー級王者の棚橋選手に挑戦。見事、勝利して第59代王者に。
『ニュー・ジャパン・カップ』優勝して、IWGPヘビー級王者になったのは2人目。
第十回優勝者 中邑真輔
中邑真輔選手が初優勝し、IWGPインターコンチネンタル王座の挑戦権を選択。
当時、同じユニットだったオカダ・カズチカ選手がIWGPヘビー級王者だった
からでしょう。
インターコンチの当時の王者は棚橋選手で、中邑選手が勝利。王座に返り咲きと
なりました。
インターコンチのベルトの価値は、中邑選手が本当に上げましたね。
第十一回優勝者 飯伏幸太
ヘビー級でのタイトル獲得できていなかった飯伏幸太選手が、ようやくタイトル
を獲得。もちろん、IWGPヘビー級ベルトへの挑戦へ。
相手はAJスタイルズ。残念ながら、ベルト奪取とはなりませんでした。
第十二回優勝者 内藤哲也
中邑真輔選手がWWEに移籍し、トップ戦線へと躍り出て、ロスインゴ旋風を
巻き起こした内藤選手が、その勢いを示すように初優勝。
そして、オカダ・カズチカ選手の所有するIWGPヘビー級ベルトへ挑戦。
これに勝利し、IWGP王座初戴冠。
まさに、内藤選手が新日本プロレスの中心・トップへと駆け上がったのを
象徴するものとなりましたね。
第十三回優勝者 柴田勝頼
2017年に優勝したのが、「ザ・レスラー」柴田勝頼選手。
IWGPヘビー級王座への挑戦権を選択し、ようやく柴田選手がIWGPヘビー級ベルト
への挑戦を得ることができ、非常に楽しみでありますね。
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柴田勝頼とオカダカズチカのIWGPチャンピオンシップ
柴田勝頼選手が選択したのは、当然ながらIWGPヘビー級王座。
これまでの歴史上で、IWGPヘビー級王座以外、インターコンチへの挑戦を選択
したのは中邑真輔選手ただ一人。
これも、同じユニット間のタイトル戦を避けた意味もあるため、やっぱり
『ニュー・ジャパン・カップ』の存在意義を考えると、最高のベルトとしての
IWGPヘビー級王座の挑戦権のみにすればいいんじゃないかなと思いますね。
柴田選手にとっては、IWGPヘビー級王座への挑戦は初となり、長い道のりだった
と感じていることでしょう。
相手は、オカダ・カズチカ選手。
この2人はスタイルも、辿ってきた道も異なり、お互いのプロレスイズムを
証明するような、そんな戦いになるのではないでしょうか。
対戦は4月9日両国大会に決定!!
柴田勝頼選手の初戴冠を個人的には期待しております!
まとめ
●2017年の『ニュー・ジャパン・カップ』優勝は柴田勝頼選手。
●システム的に問題が指摘されている『ニュー・ジャパン・カップ』は、今後、
どのようなものへとなっていくのか、注目。
●オカダ・カズチカ選手と柴田勝頼選手は、そのスタイルも、歩んできた道も異
なっており、この対戦は、お互いのプロレスイズムを証明するような、激しい戦
いになるのが予想されます。
12回の『ニュー・ジャパン・カップ』の歴史のうち、優勝してベルトに挑戦し、
勝利しているのは4人。
永田裕志選手、オカダ・カズチカ選手、中邑真輔選手、内藤哲也選手だけ
なんですよね。
データ的には、チャンピオン有利ってところでしょうか。
同級生である後藤洋央紀選手も、これまで何度も挑戦し、届かなかった
IWGPヘビー級王者。
以前、オカダ・カズチカ選手に挑戦し、敗れた際にセコンドについてた柴田選手
が挑戦を表明するも、当時は実現しませんでした。
それから数年、長い道のりだった柴田選手に大きなチャンス。
また激しい戦いになるのは間違いないでしょうね。
楽しみですね。